とりあえず誤解が心配なので先に言っておくが、筆者は思春期を実感した時点で一人暮らしをしようとは思ったが、一人暮らしを強行することは出来なかった。
私がこの記事で主張したいのは、思春期を当人が自覚した時に、一人暮らしをさせるべきだという考えだ。
縄文時代から江戸までをみると、
15歳で成人、元服という考えが常識であり、恐らくだが一人暮らしも同時期にしていただろうと推測できる。
※親と同居していたにしても、一家の主導権はある程度子にあると思う
15歳は現代でいうところの中学生後半、THE 思春期ともいえる時期であるが、上記のように一人暮らしに挑める年齢と一般ではされていない。
筆者はこれを異常に感じる。
30歳まで実家ぐらしが当たり前な世の中と同じだ、といえばわかるだろうか?
思春期に訪れる精神的な自立の過程で訪れる変化、その最たるものといえば異性への興味と、「大人」に対する疑心である。
幼少期、成長期(思春期前)の少年少女にとって大人とは、従うべき人間、強者なのだが、
これが思春期になるとどうも恐れの対象から外れ、寧ろ反面教師的な見方が強くなってくるのが思春期の特色といえる。
これは思春期特有のものではなく、それから成長するにつれて妥協に至るものであるのだが、
思春期開始時点で大人が「思春期=反抗期」と結びつけて(そもそも反抗期という言葉自体に違和感を感じる)、教育方針を行動の抑制へと進める事はおかしいのではないかと思う。
自分を不完全な親だと自覚し、その上で適切な行動をとれている親がいるのか怪しい。
親はまず、不完全な親である事を自覚するべきだろう。
自覚した上で不完全な自己に出来るなるべく適切な処置として、その大小に関わらず自己の信念を貫く努力を試みれる場=一人暮らしの機会を与えてやるべきなのだと思う。
その精神的、また生活の自立をする機会を与えずに子を非難する、または子の間違いを諌めることが間違いなのだ。
日本社会のみならず先進国、発展途上国は20歳成人が一般である。
義務教育が終われば就職する事が出来るが、人生においてその選択は愚策とされており、勿論推奨されることもなく、寧ろ軽蔑の対象となる選択であるといえる。
義務教育が終わった時、ある人は己の野心の為に、またある人は何かを悟りたいが為に、そして多くの人はいやいやその選択を選び取る。
何が言いたいか、
教育第一の世の中にしても、教育期間が長すぎるのではないか?
男性の平均寿命は80歳だが、その4分の1を教育に費やしているではないか。
日本国政府およびシンクタンク、その他の研究機関はどうやったら真に大切な教養を思春期が始まる前に完了できるかについて考えるべきだと思うのだ。
そして、思春期開始時に親との摩擦を極力軽減する為に仕事はまだ早いにしても一人暮らしを推奨できる世の中になればいいと思う。
筆者が思うのは、回避可能なはずの親との衝突を人生の過程であるかのように表現する事がとてつもない違和感だということだ。