想像の限界

想像の限界について考えたことがある。

もし自分が二百年前の江戸時代にタイムスリップしたなら、恐らく現代の知識を用いて偉人に取り入り、制度を改革したり文明的な機械をその時代で初めて作り出したりできただろう。

現代の知識があるなら良いが、もし現代の知識がなく、二百年前の一百姓として暮らしていたなら、現代の知識を用いたような革新が可能であっただろうか。

結論は歴史が説明している。答えは「不可能であった」だろう。

自らの生活を豊かにして幸福を得るため、人は思考という高等な活動を行っている訳だが、本当に思考は高等なのだろうか?

思考は内容を含まない表面的なもの。思考は物事に対する反射行動であって、物事を解決する等といった大層なものではないのではないだろうか。

もし現代から二百年後の歴史家が現代の文献を読み、現代を理解した時にその歴史家は何を思うだろうか。

未来の◯◯を以てすれば現代の問題などこうも簡単に解決できたのに、と 歴史のifを考えるのだろうか。

考えたとしてもそれは当時では不可能であったし、思考は万物に大して反射的な効果しかもたらさないのだろう。

だとすると想像の限界とは、人が思っているよりも低い位置にあるのではないだろうか。

 

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