善への違和感

私のやってきた行いを全てリスト化できたとします。

リストを見た者のうち100人中99人が私のことを「悪人」と評するんじゃないかと思います。

良い意味でいいたいわけではありませんが、私は常識がなかったほうだと思います。

人の嫌がることを平気でしてましたし、空気もかなり読めませんでした。

過去のことを思い返してみると、自分はADHDなのではないかと思います。

薄々気付いてはいましたが、ここまで書いて悟りました。

私は本当に悪人です。

前述の通り、人の嫌がることを平然とやれました。

自分が言われて嫌なことを人に言っていました。

ここまでで自分をディスりまくりましたが、今精神的に罪悪感はあまりありません。

良心がないのか、壊れているのか、

それとも良心の効果範囲の外に分類されるのか、

あまり自分のことをよくわかっておりませんが、

今、自分の過去を見返すと、

コイツやべぇ ぐらいは感じます。

私の良心はなんなのでしょうか、私の正義はなんなのでしょうか

最近思ったことですが、

人が唯一信じれるものは生物の生殖欲求だと思います。

善も悪も、この生殖欲求からなる二次的なもので、その生殖欲求の解釈によって人の善と悪に対する価値観はズレてくるのだと思います。

私は人に叱られた時、心の中で非常に反抗的になります。

相手の言っている善が分からないからです。

親や先生は、「これは悪い」「これは正しい」と言ってくることが非常に多く、さらに腹のたつときは、善と悪を決め付けるのと同時に怒りを放ってくるときです。

その善と悪の価値観はどこからくるのか、その怒りはどこからくるのか、

人に善と悪を悟らせたいのなら、

善と悪の価値観を、人が唯一信じれる「生殖欲求」と結び付けて説明するべきなのです。

怒りは相手の精神を乱すどころか、説明の説得力を損ないます。

この記事を書いている今、私は未熟な身です。

善と悪の価値観を押し付けるのではなく、自己の価値観を説明する。

これができたらいいと思います

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